The Prodigyのキース・フリント死去に各界から追悼の声 彼の歴史を振り返ろう

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2019年3月4日、ショッキングなニュースが音楽業界や世界の音楽ファンを驚かせました。

それは、イギリスを代表するテクノロックバンド『The Prodigy』(ザ・プロディジー)のフロントマンである「Keith Flint」(キース・フリント)が死去したというものです。

自宅で亡くなっているところを発見されたキース。まだ49歳という若さでした。後に公開されたメンバーのコメントによると、死因は自殺。あまりに突然のことで、関係者も困惑している状況です。

受け止め難い事実ではありますが、今回はキース・フリントへの追悼として、彼とプロディジーの歩んだ道のりを振り返っていきましょう。



キース・フリントの人生

 

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1969年9月17日、イギリスのロンドン、レッドブリッジに生を受けたキース。フルネームは「Keith Charles Flint」(キース・チャールズ・フリント)

イーストロンドンで幼少期を過ごすも、1970年代半ばにはスプリングフィールドに引っ越すこととなります。その後、離婚することとなる両親とは確執があったと言います。

当時、キースは「失読症でクラスの秩序を乱す存在」と言われており、15歳で退学処分を受けました。後に、屋根職人として働きながら、80年代後期のアシッドハウスに関心を持ち始めます。

The Prodigy結成

キースがその人生を捧げたバンド『The Prodigy』
そんなプロディジーの軌跡を辿っていきましょう。

Keith Flint(キース・フリント)
Liam Howlett(リアム・ハウレット)
Maxim(マキシム)

近年はこの3人でパフォーマンスを繰り広げてきたプロディジー。
リアムはバンドのリーダー。音楽的にも教養があり楽曲制作の殆どを手掛けてきました。

リアム以外のメンバも音楽に対して熱心であり、彼らの音楽性は、パッと聴いた印象として、パンク精神の垣間見れる粗削りなテクノのように聴こえますが、実はかなり精巧に構築された楽曲がほとんどです。

今年フジロックでのアクトの為に来日するケミカル・ブラザーズと並んで、イギリスのテクノを牽引してきたプロディジー。

ビッグ・ビートやデジ・ロックにカテゴライズされる彼らですが、日本では、プロディジー、ケミカル・ブラザーズ、アンダーワールド、オービタル、を「テクノ四天王」と総称することもあります。

1990年から活動を開始。

元々は5人構成のバンドであり、ダンサーの「Sharky」(シャーキー)と「Leeroy Thornhill」(リーロイ・ソーンヒル)が在籍していましたが、シャーキーは1991年、リーロイは2000年にバンドを脱退しています。

結成のキッカケは1980年代の終わり頃。キースは、後にバンドのリーダーとなる、DJをしていたリアム・ハウレットと出会う事となります。

リアムは地元のレイヴ系のクラブ「the Barn in Braintree」で活動しており、彼のプレイするトラックを気に入ったキース。友人であるリーロイ・ソーンヒルと共に、リアムをプレイする音楽に合わせてステージ上でパフォーマンスすることを熱望するようになります。

1992年にリリースされた1stアルバム『Experience』では、現在のエレクトロ・ミュージックのスタンダードであるドラムンベースを導入するなど、彼らのパイオニアぶりが如実に表れています。

元々はプロディジーのダンサーを担っていたキースですが、1996年リリースの『Firestarter』でボーカルを担当し、曲は大ヒット!本曲のミュージックビデオで、鬼の2本角のように頭髪の中央をそり上げ、左右に残した髪の毛を立ち上げた髪型と、アイシャドウを纏ったパンキッシュなルックスを初披露し、後にキースのシンボル。

そんな先見の明のあるバンドがこのまま失速するわけもなく、2ndアルバム『Music for the Jilted Generation』、3rdアルバム『The Fat of the Land』ではその音楽性はさらに深みを増し、彼らの楽曲はオルタナティブ・ロックなどの新たなカラーを纏いだしました。

ここまでの成功で、バンドの人気は確固たるものとなり、グラストンベリー・フェスティバルではダンスミュージックでは初となるヘッドライナーを務めます。

近年も精力的に活動しており、USツアーなど多くのライブが予定されていましたが、今回の訃報を受けてすべてキャンセルとなりました。

ソロプロジェクト

プロディジーには各メンバーがソロワークに力を注いだ時期があります。

この時期にキースは自身のラストネームを採用したバンド『Flint』をスタート。
キースはボーカルを担当。

ギターには「Jim Davies」(ジム・デイヴィス)、 ドラムに「Tony Howlett」(トム・ハウレット)と「Kieron Pepper」(キエロン・ペッパー)、ベースは「 Rob Holliday」(ロブ・ホリデイ)  が担当しました。

このバンドはパンクロックを土台とした12曲入りのアルバムを制作しますが、リリースが1度取り消しとなり、最終的に10曲を収録したリミテッドアルバムがイギリスでリリースされる事となりました。



各界からの追悼の声

世界的なアーティストの突然の死に、多くの著名人がSNS等で追悼のコメントを発信しました。

ケミカル・ブラザーズ

so sad to hear about Keith Flint,we played many gigs with the prodigy over the years and they were always friendly and supportive.he was an amazing front man, a true original and he will be missed.tom&ed x

(和訳)
キース・フリントの件はとても悲しいよ。これまで多くのライブをプロディジーと共にこなしてきて、とても手を取り合う良い関係だった。
彼は素晴らしいフロントマン。彼は紛れもなくオリジナリティのある人間で、彼のいない世界はつまらない。トムとエドより。チュッ!

フリー(Red Hot Chili Peppers)

Ahhh Keith Flint.
What a fun and wildly colorful swath he cut through the greyness of pop music.
THE FIRESTARTER. R.I.P. ❤️❤️❤️

(和訳)
キース・フリントよ。中途半端なポップミュージック平原に色鮮やかな刈り込みを入れてくれたね。
ファイアースターターよ。安らかに眠ってくれ。

山田孝之(俳優)

音楽とは不思議なもので、偶然なのか必然なのか分かりもしないタイミングでの出会いにも関わらず一瞬でその人の人生を劇的に変えてしまう力がある。あなたとの出会いは間違いなく私の人生を変えた。

49年という時間が短いのか長いのかは分からないが、私はあなたをもっと求めていた。しかしそれはファンとして、あなたを好きな一人の人間として、多くを望むことが無責任なことも知っている。

だからあなたの意思を尊重する。あなたは素敵だ。あなたは最高だ。ただ、もう一度だけあなたに会いたかった。それだけは言わせてもらわないと整理がつかない。



キース・フリントの代表曲

それではプロディジーの代表曲を一挙にご紹介しましょう。

Firestarter

キース・フリントが初めてボーカルを担当した『Firestarter』

プロディジーというバンドを定義する1曲になりました。

この動画に寄せられた反応

昔はうちの猫の前でMVみたいに踊ったもんだよ。猫は「一体何やってんだよ」みたいな顔してから立ち去ってた。


キース、僕は君の音楽を聴いて大人になったんだよ。たくさんの思い出もできた。幼かった頃、この曲を夜の闇の中を走る車の中で両親と一緒に聴いたんだ。


長く言葉を交わしていなかった友人を無くした気分だ。さよなら、キース。君は僕らの心の中に。

Nasty

2015年にリリースされたアルバム『The Day Is My Enemy』からの1曲『Nasty』

バンドとして成熟したプロディジーが、新人バンドのようなエネルギッシュでパワフルなロックナンバーを打ち出す姿勢には脱帽です。

この動画に寄せられた反応

古き良きMTVのテイストを感じる。


運命に向かって歩んでいく人達を描いてる。いいね。現代社会の魔女狩りのようなうまいコンセプト。リベラルは自分たちが洗脳されていることにすら気づいていないんだ。


ギターの代わりにキーボードと電子音を用いたパンクロックだね。

Omen

プロディジーのアンセムであり、日本でもよく耳にする世界的なヒットナンバー『Omen』

シンガロングを誘うサビは、ライブで数々のオーディエンスを沸かせてきました。

この動画に寄せられた反応

革命を起こし、自分達の音楽で歴史を築いた偉大なバンドのひとつだ。


ダンスミュージックのパイオニアだ。プロディジーが新たな扉を開けたんだ。


天国は終わりなきレイヴパーティーを避けることはできないな。

Breathe

3rdアルバム『The Fat of the Land』のリードトラックであり、プロディジーの人気を加速させたナンバー『Breathe』

剣のようなサウンドは Wu-Tang Clanの『Da Mystery of Chessboxin』 のサンプリング。

この動画に寄せられた反応

1990年代の終わり頃、君たちが原因で、うちのご近所さんが引っ越してしまったよ。


『The Fat of the Land 』は時代の一歩先を進んでいたね。


今、彼と同じ髪型をしているんだ。意図的にそうなったわけじゃないんだけどね。

Timebomb Zone

昨年末にリリースされたばかりの最新アルバム『No Tourists』からのリードトラック『Timebomb Zone』

時代の流れや商業的なニーズに迎合すること無く、最後まで進化を続けたキース・フリントを垣間見ることのできる1曲です。

この動画に寄せられた反応

キースを安らかに眠れ。君は沢山の素晴らしい音楽を届けてくれた。そのおかげで辛い時期も乗り越えることもできたんだ。偉大な人間の1人だよ。


狂気や無鉄砲の精神を泥臭さのあるレイヴに乗せて放出するんだ。


No キース No プロディジー

今後の活動

これまで現代音楽の歴史に、数々の歴史を残してきたプロディジー。

大事なメンバーを失った今。今後の進退が気になるところですが、現段階ではツアーのキャンセル以外、この先のバンド活動に関するアナウンスはされていません。
あまりに突然で、重大な出来事のため、メンバーを含む関係者全員が動揺しており、すぐさま次のステップに対して言及できる状態ではない事が推測できます。
事が落ち着くのを待ちましょう。

キース 日本での最後のパフォーマンス

プロディジーのフロントマンとしてキースが最後に日本でパフォーマンスしたのは、サマーソニック2015。

私も幸運なことに大阪で彼らのライブをこの目に焼きつける事ができました。もちろん、それが日本で観る最後のキースの姿になるとは思っていませんでしたが、その姿はハッキリと記憶しています。

大阪公演ではマウンテンステージ(2番目に大きいステージ)のトリを務めたプロディジー。辺りが暗闇に包まれてきた頃、ステージには地下の実験施設のような機材が運び込まれ、それまでの夏空の下、活気づいていた夏フェスの空気感は消え去り、緊張感のある雰囲気が流れだしました。

SEが鳴り響き、キースが登場。

まだ曲を演奏してもいないというのに、獣が乗り移ったかのような狂気を纏った動きでステージを縦横無尽に駆け回る姿に、オーディエンスの張り詰めていた緊張感は、歓喜のバイブスへと変わりました。

そんな、会場のエネルギーを取り込み、増幅し再び吐き出すようにスタートした『Breathe』
当時の最新ナンバーである『Nasty』へと流れ込み、『Omen』に繋げることで、ライブは開始わずかで最高潮に達します。

ここで、私は少しプロディジーが暴れるステージから離れます。というのも、メインステージでは、プロディジーの戦友であるケミカル・ブラザーズがパフォーマンスを繰り広げていたのです。

日本の夏フェスで、この二組が同時にアクトを展開して現場に立ち会うことができ、それが結果、キースの日本最後のパフォーマンスになるというのは感慨深いものがあります。

まとめ

プロディジーというフィルターを通して、ダンスミュージックに新たな流れを生み出し、揺るがぬスタンダードを築き上げたキース・フリント。

まだ、彼を失ったショックは消えませんが、これからも彼の音楽は世界に響き続け、私たちの心に寄り添ってくれることでしょう。

R.I.P Keith Flint.




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